【音無版】《ペレアスとメリザンド》全曲 ブーレーズ指揮 YouTube動画公開

オペラ本日でピエール・ブーレーズは生誕百年。クロード・ドビュッシー《ペレアスとメリザンド》のフランス語日本語対訳字幕YouTube動画をプレミア公開します。鷲尾浩(鷲尾雨工 1892年4月27日 - 1951年2月9日)による戯曲の翻訳に手を加えて字幕にしています。

対訳はこちら → ペレアスとメリザンド
動画はこちら → ペレアスとメリザンド

ブーレーズの《ペレアス》は1970年の発売。著作隣接権保護期間が延長されたため、この音源がパブリックドメインとなるのは2041年。よって、この動画に音源は入っていません。



《ヴォツェック》と同様、ブーレーズの手にかかると二流のオケが化ける。アンセルメを聴く限り《ペレアス》は舞台に焚かれたスモークのように掴みどころのない音楽ですけど、ブーレーズのは全くちがう。テンポとダイナミクスの変転は、まるでフルトヴェングラーの《トリスタン》のように雄弁です。

ドビュッシーの音楽の主要な特徴のひとつはテンポの流動性にある。その主要な変り目は記譜されており、それに従う他解決はない。しかし、もしテクストを仔細に分析するなら、またその奥深い意義を見定め、表現しようとするなら、記されていない数多くの変動が必要である。(中略)それらの変動は、音楽的な連続を分節し、音=言葉というアンサンブルに、演劇的な筋の変数の特徴となる抑揚を与えるために必要なのである。そのような気分の急変、磁化された瞬間とも言えるもの、私が既に述べた写実主義から象徴主義への移行、これらを浮き彫りにするためには、限りない柔軟さがテンポに要求される。ルバートは絶えず浮き沈みする。すなわち、或る一つのルバートは、機能的に完璧に確立された内在的な論理に従いながら、同時に絶対に即興的なものとして現れなければならない。――――ブーレーズ作曲家論 選『ペレアスとメリザンド』のための鏡(P.191)

難曲なのにフランス人歌手がひとりもいない。クレジットされているなかで指揮者とフランス語コーチだけがフランス語話者っぽい。ミントンが素晴らしいのに歌うところが少なすぎ。この人が表題役だったらなあ。

歌劇『ペレアスとメリザンド』全曲

エリザベート・ゼーダーシュトレーム(ソプラノ)
ジョージ・シャーリー(テノール)
ドナルド・マッキンタイア(バリトン)
イヴォンヌ・ミントン(アルト)、他

コヴェント・ガーデン王立歌劇場管弦楽団&合唱団
ピエール・ブーレーズ(指揮)

録音時期:1969年12月~1970年1月
録音場所:ロンドン、アビー・ロード・スタジオ
録音方式:ステレオ(アナログ/セッション)

音源はご自身で用意していただくほかありません。動画冒頭のカウントダウンに合わせて、一時停止状態からスタートすれば、音楽と字幕が合うはずです。このとおり、 Spotify(スポティファイ)で無料で聴けますが、無料プランだと途中広告が入ってしまうのであまり実用的ではありません。



ブーレーズは間違いなくオケピで魔法が使える数少ない指揮者のうちのひとりでしたが、レパートリーがほぼ20世紀オペラに限られていた点は無視できないでしょう。これがワーグナーになると色々問題が出てきます。

プローベで「自分だけのために練習している」とバイロイトのオケからボイコットを食らったり、ニルソンに「トリスタンの総譜を一度も開いたことがないみたいだから大阪で色々教えてあげた」と書かれたり、さすがにスコアは読んでいたでしょうけど、ワーグナーぐらい初見で指揮できるとブーレーズは思っていたのでしょう。

去年ラジオを聴いていたらブーレーズの《ワルキューレ》が始まりました。第1幕でジークムントが父の名を呼ぶ場面、ここではカラヤンでもショルティでもクナでも、誰だって歌手が出るのを待ってからフォルテを鳴らします。

ブーレーズはそんな歌手の都合はガン無視。一発目の「ヴェ~ルゼ」がオケに埋もれてしまったので、びっくりしたジークムントは二発目の「ヴェ~ルゼ」を早めに出しました。「ジークムントと名付けます!」のところもそうだし、ブーレーズの唯我独尊は第3幕までずっとこんな調子で続きます。



たぶんブーレーズは「劇場的なもの」に全く関心がなかったんでしょう。ショルティを評価していたジョン・カルショーが、ブーレーズを全く評価していなかった(P.292)のも、そういうとこだったのでは。なにしろ「オペラ劇場を爆破せよ」と叫んだ人なのだから、そこはしょうがない。

ペレアスとメリザンド
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